インスタントフィクション2

「狂信者」

彼は確かに新興宗教の建物の近くにたむろする健康的で笑顔あふれるその若い集団を見て、思ってはいけないと思いつつも恐ろしさを感じていた。

昼食の時間になると、彼はホットな話題としてそれについて話し始めた。

「あそこの若い集団怖かったよね。特に若いっていうのが怖かったわ」

彼はとっさに言葉を選ばないといけないと思ったが、久しぶりに人と話したという高揚感であろうか、話を面白くしたいというエゴであろうか、次にこんな言葉を使ってしまった。

「狂信者っていうかさ」

いった瞬間にまずいと思った。冗談めかして言ったけれど、そこには間違いなく彼のステレオタイプが反映されていたし、人を蔑み差別する意識が無意識の中に芽生えていたことを暴露してしまった。

「いや、ダメだな。いやダメだなどころじゃないな。絶対言っちゃいけないな」

彼は誤魔化したが、狂信者と言ってしまう心が自分の中にあるということに背筋が凍った。

 

 

一文目、健康的で笑顔溢れることというのはいいことであるのに、この人は恐ろしさを感じている。その理由は新興宗教に入っている人たちであると彼が決め付けているからだ。つまり、彼にとっては、新興宗教に入っているのに笑って健康的であるということが恐怖なのである。おそらくは、彼にとって新興宗教という場所は全く笑えないし、健康的でもないという意識があるのだろう。それなのに、笑っていてかつ、肌艶が良いということに対して彼は恐ろしさを感じている。しかし、彼はそれに対して、思ってはいけないと述べる。

宗教観というのは難しいものである。それは合理とは捉えられないような教えの数々がたくさんあり、そしてその教えのために今まで様々な人々が焼かれてきた。戦争が起きてきた。日本人の多くが宗教というものに拒否反応を起こしてしまう。それは宗教にはタブーがあると考えているからだ。それに触れてしまうとそれまで穏やかだった信者は烈火の如く怒りだし、あるいはリンチにされるということさえあるかもしれない。彼はそれを理解しがたいとしている人物の一人なのだろう。しかし、彼は一人の知識人として、宗教というもので差別した結果発生してしまった歴史の過ちを知っているし、宗教というものもが全て間違った教えを説いているわけでもないということを知っているし、自分が正しいと思っている科学というものでさえも宗教ではないかという批判を浴びていることも知っているのである。それゆえにこう言った新興宗教への嫌悪を自身にとがめているのだ。

そして次の場面で彼は、ホットな話題としてそれを提示する。つまりはいじろうとしたのだと思う。いじるということは変だと思っているのだ。

次の次の文で狂信者という言葉を彼らに投げかけているのであるがそれは、この時点では喩えにすらなっておらず、いじりでもない。貶し言葉になってしまっている。

そしてそれを、人と久しぶりにあったことを言い訳にしているのであるが、実際に彼は人と合わなくてもその集団を間違いなく恐ろしいと感じていただろうし、変だと思ったから話題に載せたのであって、人と久しぶりに話したとか、面白くしようとしたエゴなどというのは全くの言い訳に過ぎないのだ。

そして、それを言ってしまって、彼はまずいとおもう。それはなぜかというと、ステレオタイプが現れたことや、暴露したことである。つまりは、自分の中にそう言ったことが芽生えたということではなく、言ってしまったことを彼は悔いているのである。

そこで彼は訂正を実際に入れる。そうして、自分は正常な人間だということを言い訳し誤魔化すのであるが、それを一通り言ったその後になってようやく自分の中にそう言った意識があったことを恐れている。

最後の一文までは、彼が自分は常識人であるという風を装った差別を生んだ心を言い訳する文章になっている。

そして最後の文章で彼はそう言った自分の意識を恐ろしいと思ったわけであるが、別に恐ろしいと思うことは行為を反省しないということに注目すると、やはりこの文章は一貫して、自身への言い訳であるように思えるのである。