ドラマ「ぼくは麻理のなか」が最高すぎる理由【ネタバレなし】
みなさんぼくは麻理のなかみました?
みてない?
見て!!!!!僕を見て!!!!!
僕の中のハリーが出てしまいましたけれども、それは僕にハリーが乗り移ってしまったからかもしれません。
そんなハリーのように麻理さんに乗り移ってしまった小森功の物語がこの「ぼく麻理」です。
心が震えます。涙が出ます。そして、ワクワクが止まらないんです。
ネタバレなしで魅力をお伝えしネタバレありの核心については別記事にしたいと思います。
ぜひ「ぼく麻理」視聴後に見てみてください。
あらすじ
ゲームして、オナニーしてを繰り返す引きこもり生活を送っていた大学生の小森功。唯一外にご飯を買いに行くコンビニで彼の運命を変える美少女、コンビニの天使に出会います。そしてそれ以降、彼女の後をつけるようになった小森功。ある日、トンネルで彼女をつけていると彼女が振り返って
「あなた、誰」
目がさめると、見かけない部屋。声もおかしい。鏡をみると、コンビニの天使こと吉崎麻理という人物になってしまったのでした。
魅力①麻理さんがいない⁉︎
この後、小森功は学校で麻理さんとの些細な態度の違いから柿口依(かきぐちより)に正体を見破られてしまいます。
依さんは吉崎さんを返せと功に詰め寄ります。功もちろん困っていましたから、依さんに協力を要請。二人で麻理さんを探すことになります。
もちろん、初めに向かった場所は小森の自宅、功は小森の部屋に鍵のありかを見つけて難なく入り込みます。すると窓の外から見えたのはコンビニから帰ってくる自分。
いそいで外に出るも遭遇。
小森は自分に
「麻理さんですか?」
と聞きますが、自分は「は?」と答えます。
小森は苛立って詰め寄りますが、小森自身の体にはどうやら麻理さんはおらず、小森は麻理さんのこと自体も知らないというのです。
小森が乗り移ったその時、麻理さんはどこかへいき、小森の体からは麻理さんの記憶が消えていたのです。
いやあ!ぼくは単純な入れ替わりものだと、君の名は的なあれだろうと思ったわけですが、
麻理さんいねえーのかよォ!!!どこだよ!!!
となりましたね。みなさんもなったでしょう。物語は、このいなくなった麻理さんを探すことを軸に展開していきます。
魅力②儚いほど美しい謎の美女麻理さん
そもそも麻理さんとは一体どんな人なのでしょうか。
これもまたワクワクポイントです。
麻理さんについては様々な謎が発見されて行くのですが、これが最後の最後まで
解けん!!!
麻理さんが行っていたある行為、それが徐々に小森と麻理さんを繋げて行きます。
なぜそんなことを麻理さんはしていたのか。
また、謎は依さんと麻理さんの関係性にもあります。なぜ依さんは小森が麻理さんではないと見破れたのか。
そして極めつけは麻理さんの過去とつながる少女「フミコ」の存在。
フミコは麻理さんのアルバムになぜか残っていた写真の少女の名であり、この少女の登場により、麻理さんとは一体何ものなのか、その核心に迫ることになります。
フミコに関する伏線は序盤にも実は貼られていますから、注意して見てみてください。
キーワードは「少女の声」です。
魅力③池田エライザがエロい
やはりドラマ版でこれは外せないでしょう。
入れ替わりといったらあんなことやこんなことを想像すると思いますが
あるで!あんなこともこんなことも!
最高でしたね、いやあよかった。もうボンキュボンとはこういうことなんですよ。
ほんと功くんありがとう!!
でもそれがただのエロシーンではないことにも注意してほしいです。
全てを見終わった後、そのシーンの印象が、エロシーンから感動シーンに変わるはずです。
魅力④演技がすごい
今回主役は吉沢亮ではなく池田エライザといっていいと思います。
もちろん、事実上そこには池田エライザしか写っていないのですから当たり前なんですが、ここが彼女のすごいところで、中に吉沢くんが入っているように見えるんです。
だから、なんとなく池田さんの存在感が薄くなってしまう。
したがって視聴者はほとんど池田さんしか出てないのに、逆に
「あれ?エライザいなくね」
となる。
これだけでも十分すごいんですが、ここがこの作品のすごいところで
見終わるとこうなります。
「エライザしかいねえじゃねえかよ!!!」
もう本当にエライザ的転回といっていいと思います。
ぼくはこのエライザ的転回ののちにすぐに彼女をフォローしてしまいました。
もう、ファンにならざる得ない。
とっちらかってきたので彼女のすごさをまとめると
まず、吉沢くんの魂の役の演技をすることができ、もちろん麻理さんの魂の役の演技もできる。そして何より吉崎麻理の体という着ぐるみの演技ができるということです。
麻理さんの魂が入っているときには、その着ぐるみは正常に作動します。
しかし、小森が入ると、それは着ぐるみとしてのはりぼったさというのが出てきてしまうのです。
またその違和感は、小森の魂が抜けることで顕著になります。
魂のなくなった着ぐるみだけになったその体を、非常に美しく演じることができる。
これはすごいことです。
また吉沢くんもすごくうまかった。
小森の体にいる小森と、麻理さんの中の小森を演じ分けるその力は本物だと思いました。特にラスト、彼の笑顔に泣かされました。エライザも泣いてた。
まとめ
この作品のキーワードは
「あなたは誰」
です。
昨今の人々は、この質問に自信を持って答えられるでしょうか。
このドラマのすごいところは、このドラマに出てくる人物全員にこれが問いかけられていることです。
麻理さんは誰なのか、それを知ることは小森の体にいる自分ではなく、麻理さんに乗り移ってしまった小森自身にしか関係のないことです。この小森は元の小森とは全く別の存在であり麻理さんを知ることを通して自身のアイデンティティをどうにか見つけようとして行くのです。
同様に、依さんも小森との対話の中で、麻理さんに憧れる自分とは、麻理さんの何に憧れていたのかを通してどんな自分なのかを見つけていきます。
そして何より
麻理さんとは誰なのか
あなたの目で確かめて見てください。
黒猫が前を横切ったら不幸か?
街を歩いていると黒猫に遭遇することがある。多くの場合なぜかそれは前を横切るのだ。そこで毎度
「あっっっっっ!やべっっ!」
となぜか思ってしまうのである。
黒猫が横切ると不幸だと言われている。もともと欧米の文化の影響が大きいと言われているが、実際問題不幸になるのかが問題であり、場合によっては黒猫横切り対策が急務となるかもしれない。
とりあえず非常用の策を
①黒猫に沿って歩く
黒猫に対してカニ歩きをすれば、相対的に停止しているのだから横切られようがない
②黒猫に背を向ける
横切るというの目の前を横切るということであるから、後ろを横切られても痛くも痒くもない。注意したいのは、黒猫を見ないことに意味があるのではなく、黒猫が背後を通ることによって防いでいる点だ。顔を覆って目をつぶっても意味がない。むしろ、はたから見れば黒猫に横切られて強くショックを受けている人になってしまう。あなたはたちまち恥ずかしくなるという不幸を味わうことになるだろう。これでは「ヤツ」の思い通りになってしまう。
③思い通りにはさせない
実力行使である。猫より先にゆけば良い。猫に横切られる前に横ぎれ。『横切りには横切りを』である。
これでセーフティーネットは万全である。
ここからが問題の核心である。黒猫が横切ることがどう不幸と直結するのかである。またなぜ黒猫なのかである。
⒈ 不幸へのプロセス
黒猫による直結した不幸の被害者は上文の②の様に「ヤツ」の思い通りになっている場合が多い。黒猫本体ではない。黒猫が引っ掻くならまだしも、ただ横切るだけで急に
「ああ、俺はなんて不幸なんだ」
と謎の魔術にかかった様になるとは考えにくい。しかし「ヤツ」はその魔法をかけるのである。
「ヤツ」とは、迷信本体である。
例えば、ある男性は黒猫に横切られたために驚いて腰を抜かし、腰を強打。ライオンやクマがいたならまだしも黒猫自体に驚きの要因はない。驚く要素があるとすれば、黒色というものを見たことがない人もしくは黒猫に横切られたら不幸になると言われた人ぐらいだろう。
こういった迷信は社会に混乱をもたらしている。仮にあなたが癌だと言われたとしよう。それはいつか死ぬことを示している。不幸である。黒猫の迷信は、まさに一億総癌告知の様なものなのである。黒猫がいつ横切るかなんて予想の立てようがない。横切られたら最後
「お前はもう死んでいる」
のである。
⒉なぜ黒猫か
日本において、考えられる道を横切るものとは、もちろん
な訳はない。
「岸部一徳に横切られると不幸になるよ」
なんて言われ日には、そもそも彼だってひとたまりもないだろうけど、それより何より多くの我々には起こりえないことである。しかし猫ならば、あり得る。
どうも、この迷信の作者が岸部一徳ではなく猫を選んだのには現実に起こりえてほしいという意図があった様である。
また、実際に猫より怖いものなんていっぱいあるわけで、可能性のあるもので不幸になりそうなものといえば、
ヤクザ、台風、シロアリの大群
ぐらいなのではなかろうか
しかしこれらも選ばれてはいない。これらは実際に害をなすものであり、猫は実際に害をなすにしてもこれらには見劣りするものである。なぜ猫なのかと思ってしまう。
この迷信の作者はなぜ猫かと疑問に思わせたい様に思える。
またなぜ黒なのであろうか
想像してほしい。
白猫、茶色の猫、しましまの猫、ペルシャ猫、ピンクの猫、黒猫
これらが道を通り過ぎている。
どれが一番不安を駆り立てるだろうか。多くの諸君はピンクの猫というだろう。しかし夜はどうか、黒なのではないだろうか。またピンクの場合、横切りそうもなさそうである。昼に黒猫を見てもなんとも思わなかったのに、夜に横切られると不安で帰りたくなってしまうのでないか。
迷信の作者はどうも夜に不安を与える色をチョイスした様である。
・迷信の効能と意図からメッセージへ
迷信の作者は何を意図したのだろうか。
不幸は猫が運ぶ。日常に隣接している。またいつ起こるかわからない。多くの人は交通事故の様に普段意識せず暮らすだろう。しかし黒猫の横切りによって現実の世界に引き戻されるのだ。特に本当に犯罪などで不幸になりやすい夜の時間にこう思うのだ。
「私は不幸になるかもしれない。嫌だ。今まで通りがいい」と
おそらく作者は日常の些細な経験を重く受け止める人間の性質を利用してこんなメッセージを発しているのではないか
不幸は、すぐそばにある。しかしお前は今は不幸ではない。不幸になりたくないと思ったはずだ。そのことを忘れるな。
作者の迷信は、不安を製造してしまう。
何か起きるのではないか。
そうして足早に家に帰り、家族の顔をみるそしてホッとすると同時に、不幸が起きないことを願うはずだ。
あるいは、一人ものならば死にたくないと願うはずである。
それこそがあなたが幸せである証拠なのだ。生の肯定と死の否定は裏返しなのである。
黒猫に横切られた日には、思う存分不安になって、家に帰り、家族を失いたくない、まだ死にたくないと、今あるなんの変哲も無い日常をありがたく思ってはいかがだろうか。