黒猫が前を横切ったら不幸か?

 

街を歩いていると黒猫に遭遇することがある。多くの場合なぜかそれは前を横切るのだ。そこで毎度

「あっっっっっ!やべっっ!」

となぜか思ってしまうのである。

黒猫が横切ると不幸だと言われている。もともと欧米の文化の影響が大きいと言われているが、実際問題不幸になるのかが問題であり、場合によっては黒猫横切り対策が急務となるかもしれない。

 

とりあえず非常用の策を

 

①黒猫に沿って歩く

黒猫に対してカニ歩きをすれば、相対的に停止しているのだから横切られようがない

②黒猫に背を向ける

横切るというの目の前を横切るということであるから、後ろを横切られても痛くも痒くもない。注意したいのは、黒猫を見ないことに意味があるのではなく、黒猫が背後を通ることによって防いでいる点だ。顔を覆って目をつぶっても意味がない。むしろ、はたから見れば黒猫に横切られて強くショックを受けている人になってしまう。あなたはたちまち恥ずかしくなるという不幸を味わうことになるだろう。これでは「ヤツ」の思い通りになってしまう。

③思い通りにはさせない

実力行使である。猫より先にゆけば良い。猫に横切られる前に横ぎれ。『横切りには横切りを』である。

 

 

 

これでセーフティーネットは万全である。

 

 

ここからが問題の核心である。黒猫が横切ることがどう不幸と直結するのかである。またなぜ黒猫なのかである。

 

⒈ 不幸へのプロセス

黒猫による直結した不幸の被害者は上文の②の様に「ヤツ」の思い通りになっている場合が多い。黒猫本体ではない。黒猫が引っ掻くならまだしも、ただ横切るだけで急に

 

「ああ、俺はなんて不幸なんだ」

 

と謎の魔術にかかった様になるとは考えにくい。しかし「ヤツ」はその魔法をかけるのである。

 

「ヤツ」とは、迷信本体である。

 

例えば、ある男性は黒猫に横切られたために驚いて腰を抜かし、腰を強打。ライオンやクマがいたならまだしも黒猫自体に驚きの要因はない。驚く要素があるとすれば、黒色というものを見たことがない人もしくは黒猫に横切られたら不幸になると言われた人ぐらいだろう。

 

こういった迷信は社会に混乱をもたらしている。仮にあなたが癌だと言われたとしよう。それはいつか死ぬことを示している。不幸である。黒猫の迷信は、まさに一億総癌告知の様なものなのである。黒猫がいつ横切るかなんて予想の立てようがない。横切られたら最後

「お前はもう死んでいる」

のである。

 

⒉なぜ黒猫か

日本において、考えられる道を横切るものとは、もちろん

 

サイ、キリン、ライオン、ガンダム渡辺謙

 

な訳はない。

岸部一徳に横切られると不幸になるよ」

なんて言われ日には、そもそも彼だってひとたまりもないだろうけど、それより何より多くの我々には起こりえないことである。しかし猫ならば、あり得る。

どうも、この迷信の作者が岸部一徳ではなく猫を選んだのには現実に起こりえてほしいという意図があった様である。

 

 

 

また、実際に猫より怖いものなんていっぱいあるわけで、可能性のあるもので不幸になりそうなものといえば、

 

ヤクザ、台風、シロアリの大群

 

ぐらいなのではなかろうか

しかしこれらも選ばれてはいない。これらは実際に害をなすものであり、猫は実際に害をなすにしてもこれらには見劣りするものである。なぜ猫なのかと思ってしまう。

この迷信の作者はなぜ猫かと疑問に思わせたい様に思える。

 

 

 

またなぜ黒なのであろうか

想像してほしい。

 

白猫、茶色の猫、しましまの猫、ペルシャ猫、ピンクの猫、黒猫

 

これらが道を通り過ぎている。

どれが一番不安を駆り立てるだろうか。多くの諸君はピンクの猫というだろう。しかし夜はどうか、黒なのではないだろうか。またピンクの場合、横切りそうもなさそうである。昼に黒猫を見てもなんとも思わなかったのに、夜に横切られると不安で帰りたくなってしまうのでないか。

迷信の作者はどうも夜に不安を与える色をチョイスした様である。

 

 

 

・迷信の効能と意図からメッセージへ

 

迷信の作者は何を意図したのだろうか。

 

不幸は猫が運ぶ。日常に隣接している。またいつ起こるかわからない。多くの人は交通事故の様に普段意識せず暮らすだろう。しかし黒猫の横切りによって現実の世界に引き戻されるのだ。特に本当に犯罪などで不幸になりやすい夜の時間にこう思うのだ。

「私は不幸になるかもしれない。嫌だ。今まで通りがいい」と

 

おそらく作者は日常の些細な経験を重く受け止める人間の性質を利用してこんなメッセージを発しているのではないか

 

不幸は、すぐそばにある。しかしお前は今は不幸ではない。不幸になりたくないと思ったはずだ。そのことを忘れるな。

 

 

作者の迷信は、不安を製造してしまう。

何か起きるのではないか。

そうして足早に家に帰り、家族の顔をみるそしてホッとすると同時に、不幸が起きないことを願うはずだ。

あるいは、一人ものならば死にたくないと願うはずである。

それこそがあなたが幸せである証拠なのだ。生の肯定と死の否定は裏返しなのである。

 

黒猫に横切られた日には、思う存分不安になって、家に帰り、家族を失いたくない、まだ死にたくないと、今あるなんの変哲も無い日常をありがたく思ってはいかがだろうか。