ドラマ「ぼくは麻理のなか」が最高すぎた理由【ネタバレあり】
この度はぼくは麻理のなかをご覧いただきまして
誠にありがとうございます。
え?見てない?
わかりました。仕方ない。
オーダー入りました。前の記事一つ。
大将「へいお待ち
ashitawokangaeru.hatenablog.com
いつもより多めにしときましたんでね。へへ、いいってことよ」
ありがとう大将。
それでは、見た方も見てない方も
おはようございます!ネタバレ有りの時間です!
今日はよく晴れてほんと最高のネタバレ日和ですね、バレゾノさん
晴園「いや、本当に良かったと思います。選手たちにとっても非常にバラしやすいコンディションなんじゃないかと思いますね」
なるほど、ありがとうございました。
今回のテーマはぼく麻理です。
素晴らしく面白かったと思います。
後半に行くにしたがって、なんとなく多重人格説というのは選択肢の一つにはなっていったので、ラストで小森が偽物とわかっても驚いたという人は少なかったかもしれません。
しかし、それでも魅せてくれるところがこの作品にはあったとも皆さんおっしゃることでしょう。
それはなんだったのか、ストーリーを振り返りながら、核心へと入って行きたいと思います。
1章 麻理さんがいない、そして謎
まず驚いたのは、麻理さんがいないことです。そして、依さんはあからさまに変なやつであることが気になりつつ、麻理さんの謎が次々と現れます。
これは物語として非常にうまい展開だと思います。まず展開で僕らの心を鷲掴みにしました。
整理しておきたいのは、麻理さんはこの段階ではなぜか小森を見ていた皆の憧れの謎多き美少女だと錯覚させている点です。
麻理さんには彼氏もいないようですし、依さんやももかをのぞいてあまり話しかけられていません。前もって偽小森や依さんが麻理さんを天使とタグ付けしたことによって、全校生徒から憧れの目で見られているわけでもないのに麻理さんにある種そのようにも感じれる存在になっていたと言えます。これは我々の目を曇らし、麻理さんの心情について明らかになる次の章において驚きを与えてくれます。
また、この時点での偽小森の心情というのもポイントです。この時点で麻理さんが偽小森を生み出したと考える人は少ないでしょうし、視聴後もモヤモヤする部分ではあると思います。ただこの時点で偽小森を麻理さんと明確に分離した存在だと我々が捉えることで最後の偽小森消失や振り返って見たときに麻理さんの悲しさみたいなものを際立たせる効果が確実にありました。
2章 麻理さんの苦しみ
偽小森は麻理さんの苦しみが生み出した存在です。麻理さん自身もまたフミコの苦しみが生み出した存在でもあります。フミコは、オリジナルですが、偽物を作り出すほどの苦しみを負ってしまいます。また、偽小森は偽物こそつくりだしませんが、オリジナルではありません。その点麻理さんはオリジナルでない上に、偽物も作り出してしまいます。もっとも不幸な人格と言えるかもしれません。偽小森が麻理さんの苦しみに気づいて行く際、まず、偽物を作り出した麻理さんの苦しみに接します。そして、麻理さんと同じ苦しみを偽小森も味わうことになりますが、そこには依さんがいます。偽小森はそれを乗り越えることができたのです。そして偽小森はアイデンティティの揺らぎを感じながらも、麻理さんの非常に大きな苦しみたるアイデンティティの問題も掘り起こしてしまうのです。麻理さんはおそらく自分が偽物であることには無意識的に目をつぶってきたのだと思います。だから、偽小森が観覧車で麻理さんが偽物でフミコが本物であることを暴いた時麻理さんは怒っていました。自分が偽物であることに目をつぶってきたのにそれを暴かれてしまったからです。そして、偽小森を消してしまうのです。
3章 もぬけの殻
偽小森を消した後の麻理さんの体の演技は素晴らしく美しかった。もぬけの殻になってしまった麻理さんの体がなぜあそこまで美しかったのか。
4章 二人の偽物
結局この物語に出てくる人物は、どれも明確に区別されています。そうでなければ、麻理さんや偽小森は自身のアイデンティティで悩む必要がないからです。またそのうち、偽物は麻理さんと偽小森です。彼らのアイデンティティの問題は、今多くの我々がおかれている「私たちとは何者か」という問題よりどうしようもなく絶望的です。なぜなら、あなたは偽物なのだから。事態はクローン人間よりも複雑かもしれません。クローンは自身の体を拠り所にできますが、彼ら二人の偽物は存在してはいけないのです。彼らの体ではないのですから。
5章麻理さん
本編では、まず偽小森を消した麻理さんが自身のアイデンティティに向き合うことになります。麻理さんは自分が偽物だと知っています。しかし依さんを見て、自分よりより偽物のはずの偽小森に体を譲る選択をするのです。この時おそらく麻理さん自身も自分が何者なのか、麻理なのかフミコなのか、はたまた麻理という存在そのものは存在しないのだからこの私という意識はなんなのかということについて答えは出せていなかったでしょう。しかし、「依さんが好きなのは小森」という言葉にも現れているように自分より偽物の偽小森を一つの個人として認めるという判断が彼女自身を救うことになります。麻理さんは、繋がりが偽物であることを恐れていました。麻理さんは麻理さんを見て欲しかった。しかし見られているのは器の方。フミコも実はそうでした。フミコという中身ではなく母は麻理という外面を押し付けたのです。麻理さんはももかから可愛いという理由で仲良くなったり、母もまだ麻理さんという人格ではなく麻理という外面を愛していました。誰も麻理さんの気持ちを考えてくれません。誰も麻理さんを人格として認めてくれません。だから偽物である麻理さんはどこにも拠り所がありませんでした。極度の人間不信といってもいいと思います。だから誰とも繋がらなくていい小森が魅力的に映ったのでしょう。ところが偽小森は依さんと確かにつながった。それは相手を一人の人格として扱うということです。依さんは小森消えちゃダメと言います。まさに依さんは麻理さんの体でなく、偽小森を見ていた。麻理さんはそれならば小森の方がより本物らしいと感じたのかもしれません。
6章 小森
麻理さんに救われた偽小森が今度は自身のアイデンティティと向き合うことになります。彼は小森功なのですからそのアイデンティティは小森功であることにあります。しかし彼は小森功ではなかった。でもそこには明らかに、小森とも、麻理さんとも、フミコとも不連続な自身が存在します。偽小森はやはり僕は偽物なんだねと受け入れます。消えたくないという思いは、自身の出生の秘密、つまり麻理さんの苦しみを見て消え、麻理さんに体を譲ることを決断します。それは、依さんが偽小森も一つの人格だと教えてくれたからです。また、麻理さん自身が小森を人格と認めたからです。
小森は麻理さんにこう言います。
「君は君だ」
麻理さんは偽物ではない。麻理さんは麻理さんなのです。それに誰も気づいてくれない。ならば、僕がずっとそばにいる。たとえ依さんと離れ離れになってしまっても僕が麻理さんの中でずっと、麻理さんを一つの人格として認め続ける。麻理さんに溶けてしまうのではなく、麻理の体の一部として麻理さんを支え続ける。
あまりに長い間麻理さんでいたために麻理さんはもうフミコには戻れない。麻理さんが小森にしたように、フミコも麻理さんに体を譲ったのでした。
僕麻理の構造
僕麻理は、初め、視聴者を惹きつける仕組みを効果的に使い、麻理さんのアイデンティティの問題をえぐるその瞬間に同時に小森自身にも突きつけられるという形をとります。そして、麻理さんのために生まれ消えるだけという意味で小森は最も救われないキャラのように見えますが、麻理さんの知らなかった幸せを確かに知ります。そうしてその幸せで持って麻理さんを救うのです。つまり麻理さんに突きつけられた問題を小森自身の問題として乗り越えることで麻理さんの問題も解決していきます。小森もフミコも不幸ではありませんでした。小森もフミコも小森として、またフミコとして生きられたからです。麻理さんは最後に、卒業式の日の黒板に吉崎麻理と刻みます。麻理さんはこれからいよいよ麻理さんとして生きていくのです。
また全話見終えた時、不思議と別人格と最初は思っていたのに偽小森は麻理さんのような気がしてしまいます。確かに多くの場合、多重人格は主人格がその体に生きていてそこにひょこひょこと別人格が上乗せされていくイメージになりがちで、最後このお話でも、小森のオナニーシーンは、精神的に参ってしまった麻理さんの悲しい姿のシーンに見て取れます。でもこれは、初めに人格の区別を行うことで生まれた効果で、見事に視聴者の視点を転換することに成功していると言えます。
なぜ抜け殻が美しかったのか
僕はこのドラマ屈指の名シーンがあの抜け殻のシーンだと思います。
なぜ、美しかったのか。
ここまでお読みいただけば、麻理さんが器のみを見られていたことに苦しんでいたことに気がつくと思います。
その器の魅力が100パーセントででたのがあのシーンだったのだと思います。麻理さんも小森もその器に入ることで、人間味が出て、あの器の美しさほどの美を出しているようには思えませんでした。
しかしその抜け殻が泣いているように見えたのもまた確かです。抜け殻は誰とも繋がれません。圧倒的な孤独です。絶対的な美しさとともにそこに儚さを感じたのはこのためだとおもいます。
まとめ
ありがとう!僕麻理!俺は俺として生きていくよ!ってなると思います